カルダモンだもん

Cardamom - damon

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カルダモンについて

7.カルダモンの歴史

カルダモンの果実は少なくとも1000年間インドで取引されてきました。多くの古いインドのテキストが、スパイス及び薬としてカルダモンに言及しています。紀元前2世紀から紀元2世紀の間に書かれた医学便覧「Charaka Samhita」[サンスクリット語で記述されたアーユルヴェーダ(インドの伝統医学)に関するテキスト] は、カルダモンについて数種類の薬の材料として言及しています。カルダモンは紀元前4世紀に書かれたサンスクリット語の政治に関する論文「Kautilya's Arthashasthra」や儀式で使用される「Taitirriya Samhita」[ヒンズー教の讃美歌を収めた書] でも言及されています。

この頃までにギリシャ人は、彼らが「amomon(アモモン)」「kardamomon(カルダモン)」と呼んだスパイスをオリエントから輸入していました。後のローマの作家もこの2つの名称を区別して使用しています。しかし、それが今日認識されている真のカルダモンと同じものであるかどうか、その記述からは明らかでありません。

11世紀にはインドにおいて、「Manasollasa」[サンスクリット語の百科事典]や「Book of Splendor」[?]に記された「panchasugandha-thambula」[レシピ名?] や「five-fragrance betel chew」[同?]の材料リストにカルダモンが記載されています。カルダモンはまた、1500年頃の日付が記入されたMandu [現在のMandav地区にある古代都市]のスルタンの宮廷料理レシピ集に記載されています。このレシピには、カルダモンで味付けされたシャーベットおよび米料理が掲載されています。

真のカルダモンは、過去1000年間にアラブの貿易業者によって広められました。南アジアとの貿易の記録にそれが記載されています。カルダモンの自生地に近いマラバル海岸 [インド南西部] からの輸出は、1524年にポルトガル人旅行者バルボサによって記録されました。1563年のガルシア・ダ・オルタの時代 [インド副総督の侍医としてインドに渡り香料などについての研究に取り組んだポルトガル人。1563年に『インド薬草・薬物対話集』を出版] までにカルダモンの国際貿易は発展しました。ケララ [インド南西部:マラバル海岸と西ガーツ山脈にはさまれたエリア] はイギリスの植民地時代までカルダモン貿易を独占し続けました。カルダモンはラジャ [王] の役人によって買い上げられ、最高の品質のものが輸出される一方、いくらかはイスラムの商人に売られました。19世紀になると、インドの他のイギリス植民地でも、コーヒープランテーションの二次作物としてカルダモンの栽培が開始されました。


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本コンテンツは、Kew Species Profiles を著作者とする「Elettaria cardamomum (L.) Maton」(2018年12月25日閲覧)をAttribution - Non Commercial- Share Alike 3.0 (CC BY-NC-SA 3.0) のライセンスに基づき、管理人が和訳・掲載したものです。文章中、[]内は管理人による注釈を示します。

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